東京から愛知への引き上げを原付で行うつもりが、まさかの廃車で旧東海道の宿場町を巡りながらの帰省は中断している。
10月1日から転職が決まった今、残る休みを充実させたい。宿場跡を逆順に上京しせっかくなので富士五湖を通って帰ってくる原付東京往復旅を実施した。
9月16日(月・祝)朝6時半に出発する。当日の夕方には完了して東京でぶらりしたあと、二日後に戻る予定だ。宿場町は範囲が広いのでVIP用の宿であった本陣を跡地として指す場合が多い。今回も基本的にはそこを巡ることになる。
41. 宮宿
まずは名古屋市内からスタートになる。熱田神宮のすぐ近くにある。ひつまぶしで有名なあつた蓬莱軒本店の脇にある。当時の面影はなくこの看板のみが場所を記している。
40. 鳴海宿
2か所目からいきなりつまづいた。本陣跡として記されている場所に何もない。立て看板すらないのだ。ひたすら周囲を散策してようやく駅前に見つけたと思ったら関係のないものだった。結局見つけることができずパス1か所目となった。後でよく調べると三重銀行鳴海支店から西へ30mほど進んだところに看板が設置されているのがわかった。この後も事前の下調べを怠ったツケを払わされることになる。
39. 池鯉鮒宿
ここからは尾張が終わって三河に入る。せっかくの石碑前にドーンと水利施設が設置されてしまっていて正面から撮ることができなかった。
38. 岡崎宿
ミニストップ前に見つけることができた。岡崎は徳川家康が生まれた地だ。
37. 藤川宿
同じく岡崎市内にもうひとつある本陣跡はここまでで一番立派であった。敷地も広く残されている。
36. 赤坂宿
豊川市に入る。ここは門構えまであってさらに当時の様子を残しているが施錠されていた。
35. 御油宿
赤坂から御油への道のりは舗装こそされているが、さほど近代化されていなくて昔の人の旅がしのばれる。
34. 吉田宿
豊橋市に入った。熱田に続きここもうなぎの丸よ店舗前になる。
33. 二川宿
愛知県最後の宿になる。ちゃんとした資料館になっていて入館料は400円とちょっとお高め。
32. 白須賀宿
いよいよ静岡県に突入した。11時ちょっと前ですでに4時間経過している。思ったより時間がかかっていて焦り始めた。
31. 新居宿
30. 舞坂宿
浜名湖を渡って浜松市に入るとすぐにある。ここでちょうど12時になった。39か所のうち12か所しか終わっていない。これはまずい。
29. 浜松宿
浜松城下になる。浜松と言えばヤマハ、スズキ本社がある。春華堂のうなぎパイも有名だ。
28. 見付宿
磐田市にある本陣跡も見つけることができなかった。旧見付学校の建物に気がいって、立正佼成会磐田道場看板すぐ横にあるのを後でストリートビューで見つけた。
27. 袋井宿
これも撮り逃がした。宿場公園の向かいすぐ近くにあったのに灯台下暗しだった。実はもう1か所にあまり時間をかけられない状況になっていて探し方が雑になっているのは否めない。
26. 掛川宿
ここはなぜか飲食街になっていた。14時なのでどこもオープンはしておらず、中に入るとようやく本陣跡のポスターを見つけた。こんな扱いでいいのだろうか。
25. 日坂宿
こうして本陣跡が公園になっているところはまだマシなんだと思えるようになった。
24. 金谷宿
越すに越されぬ大井川をはさんだ西側に位置するのがここである。
23. 島田宿
こちらが東側、どちらも島田市になる。
22. 藤枝宿
藤枝警察署上伝馬交番のすぐ近くにあるらしいのだがどうしても探せなかった。地図に本陣跡が記されているだけでそこにはなにもなかった。
21. 岡部宿
ここは中が開放されているがただ芝生が敷き詰められた場所だった。
20. 鞠子宿
15時45分ようやく静岡市に入る。静岡市内は6か所回らなければならない。
19. 府中宿
東京の府中ではない。駿府城の中という意味なのだろう。五十三次では最大の都市だった。
18. 江尻宿
だんだんと薄暗くなってきた。
17. 興津宿
これでおきつと読む。ちゃんと探すと石柱が見つかるがもう17時になっている。先を急ごう。
16. 由比宿
東海道広重美術館や東海道由比宿交流館があり、入館料150円はリーズナブルなれどすでに17時で閉館していた。
15. 蒲原宿
中は一般の家なのかどうかもわからなかった。ようやく静岡市が終わった。
14. 吉原宿
驚くほど何もない。指標がまったくなかった。富士市はこの宿をまったく推す気がないらしい。写真さえ撮ることができなかった。
13. 原宿
沼津市に入った。ここもない。ようやく看板は見つけて撮影するも18時半になりすっかり暗くなってしまった。
12. 沼津宿
ここは商店街の中にあって、街明かりで助かった。
11. 三島宿
この時点で19時半になっていた。東京の宿が0時までのチェックインなのでこのまま続けると間に合わなくなることは明白だった。残念ながら今回はここまで。箱根八里は馬でも越すが、原付二種では無理だった。出発から13時間経っている。途中休憩らしい休憩もとらずガソリンと水分補給だけにしてもダメだった。以下の8つがまたも宿・題になってしまった。
10. 箱根宿
9. 小田原宿
8. 大磯宿
7. 平塚宿
6. 藤沢宿
5. 戸塚宿
4. 程ヶ谷宿
3. 神奈川宿
23時半、シンデレラタイムぎりぎりに東京都江東区に7月オープンしたカプセルホテルに入ることができた。宇宙空間をコンセプトにしているらしい。
照明をブルーにしているだけのような気もする。とにかくやっと横になることができた。なか日は2ヵ月ぶりの都内をぶらついて折り返しの富士五湖巡りに入る。
山中湖
河口湖
西湖
結局、完全体の富士山は見えず終いだった。雲に隠れた奥の富士が精いっぱい。湖面に映る逆さ富士は撮ることができなかった。
最後は浜松餃子で締めることにした。人気のお店を探していくと13時だというのにまだ並んでいた。
12個入りを一気にいただいてニンニクパワーをもらって帰路を急いだ。17時自宅に到着する。ただ単に愛知・東京の往復だけなら原付でも片道8時間もあれば行くことができる。道中いろいろなイベントを盛り込むときは時間を倍以上取らなければいけないことがわかった。
宿場跡を巡ってわかったのは、そこを観光資源として活かすところと、まったくなかったものとして扱っているところの差がすごいということだった。歌と同様、旅は世につれ世は旅につれ。東海道五十三次の旅はこれにて一旦閉幕とする。