去年は3月7~8日の震災4年を迎える少し前に出かけた。津波で消失した石巻線終着の女川駅は開業前で見ることができなかった。そこで5年という節目、そしてところどころバスで代行していた全線開通の石巻線を訪ねてみた。さらに今回は震災遺構になった旧南三陸町防災対策庁舎まで足を伸ばした。同じ石巻市の旧大川小学校校舎も震災遺構で全体保存が決定した。
人間はフェイルセーフ機能により、精神が崩壊しないようにつらかった経験の記憶は消し去るようになっている。のど元過ぎればというやつだ。それはよくもあり、場合によっては再びの悲劇を招くこともある。記憶が閉じないように目に見える形で残すというのは大切である。
3月26日、この日は北海道新幹線の新青森~新函館北斗間が開業する日である。合わせて春のダイヤ改正実施日だ。昔は紙の時刻表をひっくり返して青春18きっぷの乗り継ぎを調べたものだが、今はネットで簡単に乗換案内の検索ができる。便利になった反面さみしくもある。今やほとんどの紙の時刻表は廃刊してしまっている。
そしてそこから女川駅に向かうには乗り換え時間が23分しかない。この間に震災遺構を見て戻って来なければならない。女川駅の滞在は9分。これが最終電車となる。青春18きっぷは1日分で日付が変わって1つ目の駅まで進むことができるが、実はそこまで進むと何もない。仙台は前回泊まったので今回はそのまま石巻で始発まで仮眠することにした。
そして、翌日は14時過ぎには東京に戻ってくる計画を立てた。計画を立てたらいつも通り実行するのみである。
記念すべき1つ目のスタンプが捺された。
小牛田から気仙沼線になるが、とても5年で復旧できる状況でない壊滅的な被害を受けていた。その代わりとなるのがBRT(バス高速輸送システム)だ。通常の代行バスと違うのはかつて線路が通っていた部分をバス専用道路にして使っている区間があることだ。単線なので、途中ですれ違うための箇所が設けられている。
このトンネルも本来電車が走っていたところになる。
17時17分、自宅を出て約11時間で震災遺構に到達した。撮影前に手を合わさせていただいた。最後まで住民を誘導する放送を続けここで亡くなった女性職員の話は道徳の話に掲載されているそうだ。
パノラマで撮ってみた。この建物の向かいにはガソリンスタンドがあった。すべてが流され一部しか残っていない。
さてあまり時間がない。急いで戻ることにする。途中、ファミリーマートののぼりを見かけるが店舗が見当たらない。右に見えるプレハブがそうだった。裏側を見ていることになる。5年経ってコンビニさえまだこの状況なのだ。
20時19分ついに到着した。1年前はここまで電車で来ることができなかった。ちょうどイベントがあったようでその後片付けをしていた。足湯もあって立派な駅舎になっていた。
翌朝はまだ薄暗い朝4時半にカフェを出発した。駅のステンドガラスも石ノ森一色だ。この後はひたすら東京へと乗り継いだ。15時半には自宅に戻ったので約33時間、940kmの旅であった。