tomoca2の ブログ

tomoca2のブログ

since 2010.5 Yahoo!ブログより移行

春の青春18きっぷで東京から女川駅まで行ってみた

最近ブログ更新をサボっており、本来3月11日までにアップする予定だったものを2ヶ月遅れで掲載している。原稿は書きかけだったため当時のカレンダーで記述されている。
 
まもなく3月11日を迎える。東北地方太平洋沖地震が未曾有の津波被害と原発事故を引き起こして早4年になる。5年半ぶりに東日本に戻ったのを機に、青春18きっぷ片手にその地を自分の目で確かめてみようと思い立った。
 
イメージ 1
 
 
3月7日(土)を決行日とした。荷物はこれだけ。青春18きっぷはもちろん、重要なのはスマホ用の充電池、これを2つ用意した。紙スリッパは夜行バスでもらって溜めておいたやつだ。耳栓も何気に役に立つ。電車内でうるさい集団に出会ったときや、ネットカフェでの仮眠に必需品だ。
 
イメージ 16
 
JR全線乗り放題なので、出発の起点は秋葉原とした。青春18きっぷで乗れる時刻表はYahoo!路線情報を使って有料列車を対象から外すと簡単に出てくる。
 
始発というわけではないが、約10時間の道のりになる。最終目的地女川駅までどんな旅になるか、一緒にお楽しみいただきたい。
 
イメージ 2
 
秋葉原駅でスタンプを捺してもらった。5回分ある青春18きっぷは今回2回分を使って、残り3回はヤフオク!で売ってしまう。帰ってから手取り7486円で売れたので、11850円-7486円=4364円が今回の旅でかかった交通費になる。
 
イメージ 3
 
秋葉原駅構内でちょうどこんな看板を見かけた。おお、まさに今日今から向かう先ではないか。これを見てわかる通り、この時点でまだ全線開通していない。不通区間代行バスで進むことになる。
 
イメージ 4
 
上野駅から本日一回目の乗換えがこれ、東北本線で宇都宮まで1時間40分の乗車は今回最長記録になる。新幹線なら東京⇔名古屋間の時間だ。
 
イメージ 5
 
実は東の電車は主に手動ドアになっている。自分で開けないと乗れないし降りられない。この旅でも何回か降りるときに開くのを待っていて、後ろの人に操作されてしまったことがあった。なかなか慣れない。元々乗車人数が少ないことと、寒い時期の防寒対策でやっているのであろう。
 
イメージ 6
 
東北本線も福島、仙台あたりまで進むと車内にこんなシールが貼ってある。もっとも今や東京でも名古屋でも安全なところはない。地震大国日本の宿命だろう。
 
イメージ 7
 
仙台からは仙石線に乗り換え、ああ松島やでおなじみの松島海岸からは代行バスとなる。もちろん、青春18きっぷ提示でそのまま乗車できる。
 
イメージ 8
 
イメージ 9
 
観光バスを調達してきた感じだ。この代行バスもこの区間はまもなく終了になる。
 
イメージ 10
 
代行バスからは道路が整備されたばかりの様子がよくわかる。
 
イメージ 11
 
これが今回目的地までに乗る最後の石巻線だ。
 
イメージ 12
 
女川駅まで残り1区間を残してこの時点ではまだ開通していなかった。ここから先は2回目の代行バスになる。代行バスの終点は女川駅ではなく、1kmほど山側に上がったところにある女川運動公園だった。なぜここが終点なのかは到着してわかった。ここが仮設住宅になっているからだった。つまり住民の足となっている代行バスだから駅ではなくここなのだ。
 
イメージ 13
 
立派な仮設住宅であるが、よく見るとわかるだろうか。実はこれ、野球場グランドの中に建てられている。グランド内をすべて舗装して、何棟も建てられていた。グランド中央部分にはコミュニティの場所もあり、この中でひとつの村ができている感じだ。
 
イメージ 14
 
結局女川駅を見ることはできなかったが、帰りのバスで津波の爪あとを見せつけられた。4年経ってもまだ手付かずの部分も残っている。
 
イメージ 15
 
4日後にはこの車両止めも撤去されて、女川駅まで全線開通となる。この後は仙台まで戻って名古屋時代の友人と旧交を温め、ネットカフェで始発まで仮眠することにした。ネットカフェの入っている同じビルにパチンコ屋があって、実は飲食代やネカフェ代も調達できてしまった。まさに旅打ちであった。午後には無事東京に戻ることができた。
 
あの未曾有の震災であっても、4年と言う年月はその恐ろしさを風化させるには十分な時間である。その間にも御嶽山の噴火もあり、つい最近ではネパールの地震があった。いつ何どき自分の身に降りかかるかもしれない天災に備え日頃の心構え、準備が必要であると認識できた二日間であった。