最近ブログ更新をサボっており、本来3月11日までにアップする予定だったものを2ヶ月遅れで掲載している。原稿は書きかけだったため当時のカレンダーで記述されている。
3月7日(土)を決行日とした。荷物はこれだけ。
青春18きっぷはもちろん、重要なのは
スマホ用の充電池、これを2つ用意した。紙スリッパは夜行バスでもらって溜めておいたやつだ。耳栓も何気に役に立つ。電車内でうるさい集団に出会ったときや、ネットカフェでの仮眠に必需品だ。
始発というわけではないが、約10時間の道のりになる。最終目的地
女川駅までどんな旅になるか、一緒にお楽しみいただきたい。
秋葉原駅でスタンプを捺してもらった。5回分ある
青春18きっぷは今回2回分を使って、残り3回は
ヤフオク!で売ってしまう。帰ってから手取り7486円で売れたので、11850円-7486円=4364円が今回の旅でかかった交通費になる。
秋葉原駅構内でちょうどこんな看板を見かけた。おお、まさに今日今から向かう先ではないか。これを見てわかる通り、この時点でまだ全線開通していない。不通
区間は
代行バスで進むことになる。
上野駅から本日一回目の乗換えがこれ、
東北本線で宇都宮まで1時間40分の乗車は今回最長記録になる。新幹線なら東京⇔名古屋間の時間だ。
実は東の電車は主に手動ドアになっている。自分で開けないと乗れないし降りられない。この旅でも何回か降りるときに開くのを待っていて、後ろの人に操作されてしまったことがあった。なかなか慣れない。元々乗車人数が少ないことと、寒い時期の防寒対策でやっているのであろう。
東北本線も福島、仙台あたりまで進むと車内にこんなシールが貼ってある。もっとも今や東京でも名古屋でも安全なところはない。
地震大国日本の宿命だろう。
観光バスを調達してきた感じだ。この
代行バスもこの
区間はまもなく終了になる。
代行バスからは道路が整備されたばかりの様子がよくわかる。
女川駅まで残り1
区間を残してこの時点ではまだ開通していなかった。ここから先は2回目の
代行バスになる。
代行バスの終点は
女川駅ではなく、1kmほど山側に上がったところにある女川運動公園だった。なぜここが終点なのかは到着してわかった。ここが
仮設住宅になっているからだった。つまり住民の足となっている
代行バスだから駅ではなくここなのだ。
立派な
仮設住宅であるが、よく見るとわかるだろうか。実はこれ、野球場グランドの中に建てられている。グランド内をすべて舗装して、何棟も建てられていた。グランド中央部分にはコミュニティの場所もあり、この中でひとつの村ができている感じだ。
結局
女川駅を見ることはできなかったが、帰りのバスで
津波の爪あとを見せつけられた。4年経ってもまだ手付かずの部分も残っている。
4日後にはこの車両止めも撤去されて、
女川駅まで全線開通となる。この後は仙台まで戻って名古屋時代の友人と旧交を温め、ネットカフェで始発まで仮眠することにした。ネットカフェの入っている同じビルにパチンコ屋があって、実は飲食代やネカフェ代も調達できてしまった。まさに
旅打ちであった。午後には無事東京に戻ることができた。
あの未曾有の震災であっても、4年と言う年月はその恐ろしさを風化させるには十分な時間である。その間にも
御嶽山の噴火もあり、つい最近ではネパールの
地震があった。いつ何どき自分の身に降りかかるかもしれない天災に備え日頃の心構え、準備が必要であると認識できた二日間であった。