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引っ越し荷造りと東北の旅

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7月10日午後、廃車にしたバイクショップから着払いの荷物が送られてきた。何か大切な人が焼却されて帰ってきた遺品のようなさみしさを感じる。しかし感傷に浸っている時間はない。
 
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翌日から妻が来て荷造りを手伝うという。あっという間にダンボール詰めは終わった。元々荷物が少ないし、普段から片付けをしているのでわずか3時間ほどで終了してしまった。
 
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今回のメインはラスト東京散策と、仙台に行きたいという妻の両方の希望をかなえたプランとした。東京だよおっ母さんと言えばここが二重橋、記念の写真を撮りましょねとなるがあいにくの雨だった。今年は冷夏にも増して雨が多い。東京都心でこれほど日照時間が少ないことは平成時代になかった。皇居お堀の水面も雨粒の波紋で揺れている。
 
西行戻しの松公園
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青春18きっぷを使って2015年には女川駅2016年南三陸町まで足を延ばした。今回はまだ利用期間前なので東京駅からは仙台まで格安深夜バスおひとり様3,400円を利用した。朝5時過ぎには着いてしまうので、吉野家で朝定食を摂ってから格安のニコニコレンタカーを二日間を借りて松島に向かった。この日も終日くもりか雨であった。日本三景のひとつ、ああ松島やが残念ながら霞がかってしまっている。もっともこの句は松尾芭蕉のものではないという。桜の季節に訪れ、松島を見下ろしながら月も見えていたりすると花札三光のできあがりである。
 
福浦島
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高台から松島湾まで降りていって見ることにする。景勝松島は松島湾内外にある諸島全体を指す。そのうちのひとつは福浦橋という有料の橋で歩いて渡ることができる。まだ朝が早過ぎて営業していなかった。
 
五大堂
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歩いて行ける範囲で、2本の橋を渡ると瑞巌寺の境外仏堂がある。拝観無料なのはありがたい。板の隙間から海岸を見ると結構な高さがあるのでちょっとしたスリルが味わえる。
 
女川駅
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2015年3月21日にJR石巻線が全線開通した。この女川駅舎はウミネコをモチーフにしている。前駅舎は津波により完全に破壊された。
 
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建物内は1階が土産物売店、2階が町営の温浴施設になっている。土足厳禁なので入り口で脱靴していかなければならない。
 
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9時に着いてしまったので電車を見ることはできなかった。1日11本のダイヤになっている。
 
神割崎
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女川町から南三陸町に向かうとすぐにあるのがこの景勝地で二つに割れた奇岩の間から荒波が押し寄せる様がすばらしいという。果たしてその通りであった。動画でもご覧いただきたい。
 
三陸志津川さんさん商店街
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ちょうどお昼時となったので復興された商店街でランチをすることにした。3年前に訪ねたときはすべてがプレハブだったのにしっかりとできあがっていた。
 
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雨なのと、まだ3連休前日ということもあってか人の入りはほとんどなかった。
 
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あちこちでうに丼の看板を見かけるが食べられないので普通にマグロ丼をいただいた。また、タコ推しだったのでタコのから揚げも新鮮で美味だった。
 
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購入した食べ物はフリースペースで食べることができる。真ん中にカラフルなピアノが設置されていて誰でも弾くことができた。裏面を見ると地元中学校の制作のようだ。
 
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また、商店街の一角にはモアイ像があってそのエピソードが記されているので詳細はお読みいただきたい。そこには津波で苦しんだ二つの町を結ぶ不思議な絆が描かれている。
 
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商店街から志津川をはさんで南三陸町防災対策庁舎跡がある。保存か解体かで町を二分する事態となった問題は、結局国の支援が決まり県有化され2031年まで宮城県が管理することになった。 ただ震災遺構の環境整備にはまだまだ時間がかかりそうだ。ファイナンシャルプランナーを勉強していて出てきた復興特別所得税(平成25年~令和19年まで)は東日本大震災の復興のため25年間にわたって浅く広く国民全体に支援を求めた税金ということになる。今回、仙台から釜石まで沿岸を走っただけで復旧の道なかばなのがよくわかった。8年半経ってもこの状況なのだ。
 
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このあと、宿泊先の気仙沼を通過して陸前高田に向かった。奇跡の一本松を見ようと思ったが雨のため翌日に順延とした。今回の最北上先の釜石へ向かう途中であまちゃんでお馴染み三陸鉄道リアス線の車両を見ることができた。一日11往復しか見れない貴重な瞬間だ。今年3月に大船渡から久慈の163kmがつながり日本最長の第3セクターとなった。すべて乗ると約4時間20分で3,710円の運賃になる。
 
釜石大観音
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釜石というと、新日鉄釜石ラグビー部というイメージをする人も多いのではないだろうか。町に入るといたるところで日本の近代製鉄発祥の地という文字を目にした。ここに、今年4月で建立50周年を迎えた釡石大観音があるというので行ってみた。拝観料500円を払うとなぜかエスカレータがあらわれて観音像の近くまで運んでくれる。
 
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48.5mの観音様は全国的にはそれほど大きい部類に入らない。胎内巡りができるものも多い。ただ、魚を抱いたものはめずらしい。
 
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内部には様々な観音様や七福神が安置されている。
 
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ちょうど胸元にあたる部分に展望台になっていて釜石湾を一望することができる。
 
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天気が一向に回復しないので、予定していた岬巡りは中止して今夜の宿、ラ・ジェント・イン気仙沼に戻ることにした。素泊まりひとり2,400円の格安ながら新しいホテルだった。せっかくかつおの町に来たのだから、大浴場のあとにタタキをいただく。500円で新鮮な味を堪能することができた。明日は午前中しか活動時間がないので朝が早い。早めに就寝しよう。
 
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朝6時半出発、前日と打って変わって快晴となった。再度、岩手県入りして陸前高田市にある奇跡の一本松を目指した。今回、走っていて盛んに目にしたのがこの標識である。ここから先は東日本大震災と同程度の津波がきた場合の警告として入れてあるのだろう。この標識の先にある建物がほぼ新しくなっているのを見ると震災の爪痕を今でも感じさせられる。
 
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一本松に向かう途中でかつての中学校校舎が今も残っている。建物の左手前上の屋上に小さな看板があるのがわかるだろうか。津波はこの高さにまで達した。つまり校舎は全没したのだ。それでもこの中学校ではひとりの犠牲者も出さなかった。当時の女性校長の機転で高台へ逃げたおかげだったと言われている。この気仙中学校は去年3月で廃校になっている。この建物は震災遺構として遺されることになった。
 
奇跡の一本松
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中央やや左寄りに一本松が見える。まだこの辺りの復興は進んでいない。このため、専用の駐車場から徒歩20分かけて向かわねばならない。
 
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このような特設の階段を何回か渡っていく。
 
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ようやくたどり着くことができた。奥に見えるのは陸前高田ユースホステルの建物で、元々この松もこのホステルの所有であった。ここにある松は震災後1年で根が腐り枯死と判断された。このため、今あるのはモニュメントである。復元に当たっては我がふるさと弥富市まで幹が運ばれヤトミ製材で加工されている。
 
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松のたもとには献花台と感想ノートポストが設置されていた。
 
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一本松の道路をはさんで反対側ではクレーンがいくつも見えている。復旧工事は今も急ピッチで行われている。
 
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一本松駐車場から進むと2つの震災遺構を目の当たりにする。道の駅は壁面に描かれている絵の下にある黒い線の位置に津波の高さが表示されている。
 
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この5階建て市営住宅は4階までの防護パネルがなくなっている。5階のパネルまで水が達したことがよくわかる建物でこれも震災遺構に決まっている。津波がすべてを流してしまってもこうして雑草は生い茂る、その生命力に感服した。
 
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急いで気仙沼に戻り。3連休初日のかつお祭りを楽しみながらかつおの朝食にありつこうとした。
朝8時からかつおが1本1,000円というので3施設合同のイベントはどこも大盛況だった。気仙沼かつおが不漁というニュースを先月見たので心配していたが杞憂だった。ただ、朝市的な食堂はどこも8時からはやっておらず、前夜食べたのが最初で最後のかつおであった。
 
気仙沼大島大橋
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今年4月に開通したばかりの橋を渡ってみた。気仙沼大島は橋開通前は定期船でしか渡ることができなかった。大震災時に島が孤立したことを踏まえ、震災後約1年で着工し7年という短期間で完工した島民悲願の懸け橋である。
 
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我がGalaxyの超広角が青空に映える白い大橋を見事にとらえている。
 
御崎岬(おさきみさき)
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気仙沼には唐桑半島があり、最先端にある御崎神社駐車場から徒歩10分程度で御崎岬灯台に到着する。
 
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岩に打ちつける波は豪快で、釣り人が高潮に飲まれないか心配である。海の水は思った以上に透明度が高い。
 
再度、西行戻しの松公園
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本来はここで帰路につく予定が、せっかくの晴れ間なので急遽昨日見た高台から再度松島全景を捉えてみることにする。やはり立ち寄ってよかった。日本三景はこれでなくては。
 
仙台駅
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予定外をひとつ加えたのでレンタカーを返してからの仙台駅ランチタイムがなくなってしまった。ずんだシェイクでのどを潤しながら駅弁を買い込んで新幹線やまびこに乗り込んだ。
焼きたてということで、温かい牛たんに舌鼓を打ちながらのお疲れビールとなった。1日半の走行距離は500kmを少し超えた。
 
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JR東日本はこのような3割引きっぷがあって助かる。また東京に戻ってひとり最後の片づけをしなければならない。わたしに残された時間はあと三日間しかない。